調査面積が狭小なトレンチ調査であったため、古墳の全容をつかむことはできませんでしたが、幅8〜9m、深さ1m程度の周溝が周囲を取り囲んでいると推定されました。出土遺物は僅少で、帰属時期の断定は困難ですが、墳丘測量の結果、発達した前方部と推定されることから、後期の築造である可能性が考えられます。古墳時代後期になると、多彩な副葬品を持つ江子田金環塚古墳が養老川中流域に出現するように、菊間国造や上海上国造の他に、在地の中小首長が勢力を持ち、古墳群を築造するようになると考えられています。
「4 南岩崎仲山遺跡」『平成19年度 市原市内遺跡発掘調査報告』 市原市教育委員会
2008
『上総 江子田金環塚古墳発掘調査報告書』 上総江子田金環塚古墳発掘整理調査団編 市原市教育委員会 1985 |