| 近世 |
上総国分僧寺跡 かずさこくぶんそうじ |
上総国分寺は、仏教の力で国を護るため、聖武天皇の命令で各国に建てられた国分寺の一つです。創建期の奈良時代から室町時代まで、公武両政権の庇護を受けながら栄え続けましたが、国府の衰退とともに勢力が衰え、戦国時代は著しく衰退し、若干の堂が維持された程度だったと考えられます。
江戸時代になると、真言宗の僧快応(かいおう)の勧進によって国分寺の復興事業が始まり、正徳6年(1716)に主要建物が落成しています。それからは「医王山清浄院国分寺」と称され、現在の国分寺に法灯が受け継がれています。
このとき建立された本堂は、薬師如来像をご本尊とし、これを納める厨子とともに「国分寺薬師堂附厨子」として市の文化財に指定されています。建立は惣社村・五井村の大工が中心となりましたが、武射郡飯櫃村・牛熊村などの大工も途中から加わり、細工を担当したことなどが、部材の墨書から分かっています。 |
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| 市指定文化財 国分寺薬師堂(現在の本堂は新しい建物に移っています) |
| 薬師堂の基壇を発掘調査したところ、建立直前に行われた地鎮祭の道具が見つかりました。棒5本を並べ、銭13枚を置き、カワラケ7枚を重ねています。地鎮祭に用いた道具をまとめて納めたと考えられます。 |
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| 薬師堂の地鎮祭用具の出土状況 |
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| 出土品 カワラケと寛永通宝 |
| また、復興国分寺の近くから、梵鐘を鋳造した跡も見つかっています。梵鐘などの大型製品は、鋳物師が遠方から出張し、発注者の近所で鋳したことがわかる例です。 |
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| 梵鐘鋳造遺構 |
引用・参考文献
市原市教育委員会2002『上総国分僧寺跡I』上総国分寺台遺跡調査報告XIX |
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