遺跡ファイル

弥生時代終末期 神門古墳群 ごうど
 国分寺台地区の西縁に築かれた前方後円形の墳墓群です。弥生時代終末期に、5号墳・4号墳・3号墳が順に築造されたと推定されています。いずれも墳丘は高く盛り上げられており、奈良時代に建立された上総国分寺の寺域はこれらをよけて設計されています。
 3基のうち、全長が47mを超える3号墳(↑写真)からは鉄槍・鉄剣・ガラス玉など多数の副葬品が出土しており、埋葬施設を埋めたあとの儀式で使われた大量の土器も見つかっています。これらの土器には手焙形土器櫛描文装飾の壺形土器など弥生時代終末期の東海地方西部以西の特徴を持つ土器が含まれています。近い時期に市内では、神門3号墳と似た丸い墳丘を持つ小田部古墳のような墳墓と、諏訪台33号墳や東間部多15号墳のような前方後方形の墳墓が両方みとめられます。
 5号墳は墳丘が現状保存され、県の指定文化財になっています。

田中新史「市原市神門4号墳の出現とその系譜」 『古代』第63号 早稲田考古学会 1977年
田中新史「出現期古墳の理解と展望 −東国神門五号墳の調査と関連して−」 『古代』第77号 早稲田考古学会 1984年
『市原市文化財センター年報昭和62年度』 (財)市原市文化財センター 1989年