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荒久遺跡C地点で出土した資料を見ると、一部に欠損と割れがあるものの、完形に近い状態です。形状は、やや扁平の長方体で、13.7cm×11.0cm×4.9cmを測り、稜線の全てに幅3mmほどの面取りがなされています。全体に褐色がかった薄い緑色で、まるで緑の綿を練りこんだような細かい縞が入ります。石材鑑定の結果、蛇紋岩であるとわかりました。目を近づけるとこすれたような微細な傷が無数にあることに気付きますが、これは使用痕と考えられます。これと矛盾するようですが、研磨された表面は光沢があり、調査当時(昭和49年)の所見で「飾り台」としていることも頷けます。また、上記にある「焼いた…」に該当するような被熱による変色・剥離は認められませんので、直接焼くのではなく、水に入れ沸かすなどしたのでしょうか。重量は1.7kgを量り、携行したとは考えにくい重さです。 |
このような形状・材質・重量の温石は奈良・平安時代にみられますが、出土例は少なく、千葉県内では荒久遺跡のものも含め、6例ほどが確認できるにすぎません。
仮にこれらを古代の温石とすると、使用方法は少し現代のカイロとは異なりそうです。 実はこの古代の温石は、暖房器具としてよりも、暖めることで患部を治療する、医療器具として機能したと考えられています。さらに、使用者は僧侶が想定されており、仏教関連遺物として扱われています。 |
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では古代に対し、中世〜近世の温石はどのようなものでしょうか。
他県の出土例も含めてみると、形状的な特徴では、厚さ薄くなり、幅狭で、細長くなる傾向があるようで、素材も滑石のものが多を占めるようになります。また、孔を一箇所開けているものが多く、紐を通して携行していた姿が想定できます。これらは、鎌倉を拠点に流通していたとの指摘もあり、より一般的な使用が伺えます。この段階になると、現在我々がイメージするカイロに近い使われ方が考えられるのではないでしょうか。 |
荒久遺跡C地点の温石は、上総国分僧寺の寺院地内ではなく、寺院地に近接した竪穴建物跡で出土しています。古代の温石の使用を僧侶との関係で考えた場合、なぜ、このような場所から出土したのか疑問が生じます。先にあげた県内の出土例6件全てが、竪穴建物跡から出土していることも関連があるのかもしれません。
この問題は、温石の使用状況のみならず、国分僧寺と荒久遺跡C地点を含む周辺集落との関係を考える上で有効な情報を含んでいると考えています。 |