遺跡の深層
4 西広貝塚出土のホシキヌタ製垂飾 忍澤成視
 この製品は「ホシキヌタ」というタカラガイのなかまの貝殻を加工して作られたものです(写真1)。貝殻の背中の部分を切り取って大きな穴をあけ、殻の口の部分からこの穴にかけてヒモを通してペンダントにしたものとみられます(写真2)。西広貝塚の出土品は、最大長が50.4mmとかなり大きく殻は肉厚でずっしりとしています。この貝の現生貝は、最大で7cmを超えるものもあり、タカラガイのなかまのうちでも大型の部類に属します。一般にタカラガイは、「南海産の貝」と呼ばれ、南の暖かい珊瑚礁の海にすむものとイメージされます。実際、南九州の島々や沖縄周辺の海域には、タカラガイのなかまが多数生息しています。しかし日本の海域は、太平洋側を黒潮が、日本海側を対馬海流という暖流が、南西から北東方向に流れているため、比較的高緯度の地域でもタカラガイのなかまを見ることができる世界でも希な場所として知られています。最も北では、青森県下の海岸でもあるタカラガイのなかまが生息しています。
写真1 西広貝塚出土のホシキヌタ製垂飾
 西広貝塚と同様な加工をしたホシキヌタは、千葉県下の遺跡をはじめ、茨城・福島・宮城・岩手など太平洋側の遺跡に広く知られ、最北は北海道の礼文島の遺跡からもみつかっています。ホシキヌタの生息北限が房総半島南部の海域であることから、縄文時代にはこれらが南房総を起点として太平洋側を中心に北へ北へと運ばれ、やがては遙か遠い北海道にまで伝搬したことがわかります。北の大地の人びとには、この南の海の香りのする不思議なかたちの貝殻はどのように映ったのでしょうか。
写真2 現生貝で復元した垂飾
 さらにこのタカラガイの加工品について注目すべき点は、現生のタカラガイの特徴の一つである殻の背面にある美しい模様の部分を惜しげもなく切り取ってしまっている点です(写真3)。私たちの目には、タカラガイの特徴といえば、真っ先に光沢のある美しい背面の模様が映り、できればそのまま大事に残したいという意識がはたらきますが、彼らの興味はどうやら別にあったようです。
写真3 出土垂飾と現生貝
 それは、背面とは反対側、「殻口部にあるギザギザをもった溝状のかたち」にあったのです(写真4)。他の貝にはみられないこの不思議なかたちにこそ、彼らは強い関心を示し、産地である南房総の海とは縁遠い北の大地の人びとをも魅了したのでした。とくに、ホシキヌタの殻はほかのタカラガイのなかまよりはるかに大型ですから、それを首から下げた時の視覚的インパクトは計り知れず、場所によっては「ヒスイの大珠」にも匹敵するものがあったかもしれません。
 土器づくりに際し、着色よりも立体的な造形美に強くこだわった縄文人の意識に通じるものを感じる事例です。
写真4 出土垂飾と現生貝(裏)