研究ノート 出羽三山信仰の考古学 市原市域1 牧野光隆
「埋蔵文化財」と現代の地域文化
 考古学の花形といえば、古墳、貝塚、邪馬台国と相場が決まっていますが、そんな方々にお会いできる機会は極めてまれです。われわれが行う発掘調査のほとんどは、開発によって消えゆく埋蔵文化財(≒遺跡)の詳細な記録を残すための調査で、何かを見つけようとして、というより、何かが失われてしまうから、という消極的なものだからです。よく発掘現場で「趣味を仕事にできていいですね!」なんて声を掛けていただきますが、それはそうとして、担当者は開発で遺跡がなくなる最前線にいるわけですので、やや複雑な気持ちで現場に臨んでいることも、ときにはお伝えできればと思う今日この頃です。
 それはさておき、私が以前の発掘でたまたま出会ったのは三山塚(さんざんづか)という塚でした。今もなお地域に根付いている出羽三山信仰(でわさんざんしんこう)のひとつの形としてつくられた塚が、開発事業の区域内に築かれていたため、埋蔵文化財の保護(=記録として保存)を目的として発掘調査することになったのです。
 出羽三山信仰の始まりは、奈良・平安時代にさかのぼるといわれますが、ここ市原では、江戸時代に入って少したってから活発になり、そして今でも続けられています。そのような塚に発掘調査のメスが入るということは、信仰が形を変えようとしている、消えようとしているからでもあるのかもしれません。古代遺跡の調査とはまた違う、いま現在の地域文化との関わりも感じながらの調査になりました。
市原市平野の山林 出羽三山とは
 山形県にある、月山(がっさん標高1984m)・湯殿山(ゆどのさん1504m)・羽黒山(はぐろさん419m)の3つの山々を、出羽三山と呼びます。山そのものがご神体であり、わが国の数ある山岳信仰のなかでも、富士山・大峰山(おおみねさん 奈良県)・英彦山(ひこさん 大分県)などと並ぶメジャーな場所のひとつです。月山と湯殿山の山頂に神社がありますが、そこまで登れない人々のために、簡易に行ける羽黒山にそれぞれの山の神を祀る三神合祭殿があります。羽黒山の出羽神社(いではじんじゃ)に詣でることで、三山に詣でたことになるのです。市原市からはほぼ真北に350キロメートル前後の距離です。
山岳信仰とは
 天気は山から変わるもの。その昔、縄文時代の人々も山の天気を気にしながら、獲物を追いかけたことでしょう。そんな身近な暮らしのなかでの畏れ敬うこころが、山岳信仰の源流かもしれません。
 そして徐々に密教(みっきょう)の体系的な教義と相まって、山伏(やまぶし)でおなじみの修験道(しゅげんどう)へと昇華したようです。
 山岳信仰に関して「擬死再生(ぎしさいせい)」という言葉がよくきかれます。簡単に言えば、山のなかで模擬的に死んで生まれ変わることをイメージし、山に詣でることで今までの自分をリセットしたいという考え方です。あわせて五穀豊穣や家内安全を願い、社会関係のリフレッシュもはかれれば、というのが目指すところの大筋となります。
写真1 市原市平野
 奥の山林に三山塚があった
 出羽三山信仰の場合、具体的に何をするかというと、大まかには、いまの町内会程度の規模で成人のグループ、講(こう)を組み、行屋(ぎょうや)に集まり修行をし、精進します。「共同飲食」も信仰および親交を深めるために重要です。時には出羽三山までおもむき、山を歩き、各山の神様に参拝をします。
 もちろん信仰心が前提になりますが、江戸時代に大流行したお伊勢参りや、現代のお遍路ツアーには、日常生活の繰り返しからの「脱出装置」とでも言える、遠方への旅行としての側面も認められます。同じように、この三山信仰も、娯楽の限られた時代には、信仰のきびしい面だけではなく、仲間同士による非日常への旅として、ある種の楽しみをもたらしたのではないかと想像します。実際に、江戸時代の旅程の記録をみますと、出羽三山への往復の途中途中において、例えば日光東照宮や名勝の松島、さらにはかなりはずれて秩父の三峰山や長野の善光寺までも足を延ばしたりしています。もちろん徒歩ですから長い場合は2ヵ月間近く旅をしていたのです。
 現代では観光バスの往復が多いようで、だいたい2泊3日の旅程(サラリーマンへの配慮もあります)に組まれるようですが、蔵王温泉への寄り道もあったりします。
方形三段の塚(平野馬頭塚)
写真2 方形3段の塚(樹木伐採後) 平野馬頭塚 最上段は小さく、崩れてなくなりかけていることが多い
三山供養塚概念図
 供養塚のイメージ
供養塚・三山塚・行人塚
 三山信仰で築かれる塚は、なかに人が埋葬されていないという点においてはお墓ではありません。出羽三山に初めて登拝した時には、自分に見立てた木の札(剣梵天けんぼんてん)を授かります。そして地元に戻ってこれを納めて供養する場所として、塚が築かれているのです。したがって塚は「供養塚くようづか」と呼称しますが、一般的には「三山塚」もしくは「行人塚 ぎょうにんづか」などと呼ばれます。供養する対象はいわば自分自身であり、これも「リセット」儀式の最終段階なのです。

 市原市内には古墳や塚がたくさんありますが、三山信仰に関わる塚については、初現・分布・形状、いずれについてもはっきりとしないところがあります。形については、ピラミッドのような特異な形状(薄い四角錐台を3段にしたもの)が多く、三山を表しているとも言われます。しかし、ほんとうにそのようなイメージで造り続けられたかどうかはわかりません。考古学的に見る三山塚については、今後に多くの課題が残されているといってよいでしょう。
 また、『市原市埋蔵文化財分布地図』に記載された三山の供養塚は、下の一覧表のとおり多数にのぼります。その一部は発掘調査がおこなわれていますが、まだわからないことだらけです。今後も聞き取りや文献記録の確認で補いながら、そのこころに迫れればと思うものの、埋蔵文化財の調査対象として塚に出会うときにはその背景となる信仰や組織が衰退していることが多いのは、はじめに述べたとおりです。今回、埋蔵文化財としての三山塚に関わったことで、古墳の調査であればあまり意識しない、「築造された時代以後に古墳や塚がどのような信仰・心情などを背景に維持されてきたのか」という問題意識の重要性を再確認できたのは良い機会でした。「擬死再生」ではありませんが、三山塚の調査・整理に携わることで、新たな世界を垣間見ることができた気がします。(つづく)
 出羽三山信仰の詳細については、對馬郁夫氏の著作がおすすめです(對馬1988・1995・2011)。ご本人が行人であるとともに、里大先達(さとおおせんだち 千葉県のような遠隔地における出羽三山信仰の指導者の中でも一番ランクの高い方)でもあり、千葉県内の出羽三山信仰について精力的に研究を進められています。
参考文献
立野 晃 2008「第6章出羽三山講と行人」『千葉県の歴史 通史編 近世2』財団法人千葉県史料研究財団
對馬郁夫 1988「市原市の出羽三山信仰に関する研究」『市原地方史研究』第15号 市原市教育委員会
對馬郁夫 1995『市原市上高根の出羽三山信仰』市原市文化財研究会
對馬郁夫 2011『房総に息づく出羽三山信仰の諸相』
戸川安章 1973『出羽三山修験道の研究』佼成出版社
時枝 務 1998「出羽三山」『季刊考古学63 山の考古学』雄山閣
原田昌幸 2005『日本の美術466 山岳信仰の美術 出羽三山』至文堂
宮家 準編 2011『山岳修験への招待 霊山と修行体験』新人物往来社

江戸時代以降に供養塚として築かれたもの
名称 所在地 立地
現状
形状 規模
底辺/高さm
備考
1 戸面向行人塚 とづらむかえ 戸面字向 台地斜面・山林 未確認 3.3 / 1
2 田淵行人塚 たぶち 田淵字原道 河岸段丘面・畑地 方形3段 14 ・15 / 4.7
3 江孫下行人塚 えまごした 古敷谷字江孫下 河岸段丘面・宅地 方形 4.8 ・4  2基
4 平野馬頭塚 ひらの 平野字高野上 台地斜面・山林 方形3段 19.6・19.2 /4.0 平成22年度調査、銅鏡1・数珠玉54・寛永通宝等952 消滅
5 中ノ台行人塚 なかんだえ 小谷田字中ノ台 台地上・墓地内 未確認 3.8・3.3 /1.1
6 長塚台三山塚 ながつかだい 久保字山田谷 台地上・山林 方形 20・20 /5
7 萩ノ台三山塚 はぎのだい 皆吉字萩ノ台 台地・山林 方形 23・23 /4
8 大塚三山塚 おおつか 牛久字大塚 独立丘陵上・公園 方形 11・11 /4.7 丸山公園遺跡
9 新林台三山塚 にいばしだい 奉免字新林台 台地上・山林 方形 14.6 /3
10 七曲三山塚 ななまがり 栢橋字七曲 台地上・宅地 未確認 14 /3.8
11 上高根三山塚 かみたかね 上高根字萩ノ原 台地上・山林 方形 24・24 /4
12 小草畑三山塚 こくさばた 小草畑字棒平 丘陵・山林 方形3段 21・21 /4.9 昭和61年調査(棒平遺跡)、消滅。寛永通宝等約700・かわらけ
13 花和田三山塚 はなわだ 新井字花和田 丘陵・山林 方形3段 21・21 /5.2 昭和59年調査(新井花和田遺跡)、消滅。寛永通宝等117・かわらけ
14 深城三山塚 ふかしろ 深城字東端山 台地・山林 方形 16・16 /4
15 豊成供養塚 とよなり 豊成字蔵沢台 台地・畑地 方形 12 /4
16 立野三山塚 たての 立野字笹標 台地・公園 方形 12 /3
17 椎津旧三山塚 しいづきゅう 椎津字中林 台地・畑地 未確認 15 /4 清水川第第1号塚(袖ヶ浦市341)
18 椎津三山塚 しいづ 椎津字中林 台地・山林 未確認 20 /4.5 清水川第第1号塚(袖ヶ浦市342)
19 上野別当三山塚 かみべっとう 椎津字上野別当 台地・畑地 方形 12・12 /3.5
20 上持長塚群 かみもっちょう 不入斗字上持長 台地・墓地 方形 6 /1
21 上持長塚群 かみもっちょう 不入斗字久保上 台地・墓地 方形 5 /1
22 迎田旧三山塚 むかえだきゅう 迎田字コブシ谷 台地・畑地 方形 14・14 /4
23 迎田三山塚 むかえだ 迎田字ゴーナイ谷 台地・畑 方形 14・14 /4
24 不入斗三山塚 いりやまず 不入斗字大高上 台地・山林 方形 18・18 /5
25 不入斗旧三山塚 いりやまず 不入斗字大高上 台地・山林 方形 10・10 /4
26 片又木三山塚 かたまたぎ 片又木杢ノ木 台地・墓地 方形 17・17 /4
27 片又木旧三山塚 かたまたぎ 片又木杢ノ木 台地・荒地 方形 14・14 /3
28 一本松塚(三山塚) いっぽんまつ 新生字西荻原野 台地・荒地 方形3段 25・25 /3 平成元年調査(荻原野遺跡A区)、消滅。常滑壺内に寛永通宝等763、土坑内にかわらけ50
29 不入斗堀ノ内三山塚 いりやまずほりのうち 不入斗字堀ノ内 丘陵斜面・墓地 方形 6.5 /2.5
30 海保供養塚群(海保大塚) かいほ(かいほおーつか) 海保字大塚 台地・山林 六角5段 60 /10 平成元年測量調査、供養塚 元は大型の円墳かも?
31 海保供養塚群 かいほ 海保字大塚 台地・山林 方形 17・17 /3
32 海保供養塚群 かいほ 海保字大塚 台地・山林 方形 7・7 /1.5
33 畑木三山塚 はたぎ 畑木瓜ヶ作 台地・山林 方形 7・7 /2
34 新生三山塚 あらおい 新生字堰ノ上 丘陵・山林 方形 15・15 /3 昭和63年発見
35 愛后山三山塚 あたごやま 西国吉字愛后山 台地・山林 方形 15・15 /2.5
36 桂沢供養塚 かつらざわ 田尾字桂沢 台地・山林 方形 10・10 /2.6
37 小明供養塚 こみょう 畑木字小明 台地・山林 方形 6・6 /2
38 青柳三山塚 あおやぎ 青柳字宮田 墓地 方形 24・24 /3 寛永7年(1630)銘の大日如来台座 出羽三山に関する現状県内最古の石造物とみられる
39 堀越三山塚 ほりこし 堀越261 丘陵斜面・公民館 方形 6 /1
40 江子田送り神塚 えこだおくりがみ 鶴舞1158-2〜3 台地上・宅地 調査後削平 方形 13.3・13.3 /1 平成4年調査、当初江子田古墳群(114-L)として取り扱っていたが新番号として分離、消滅。焼土層から寛永通宝・洪武通宝・墨書かわらけ出土
41 宮原三山塚 みやばら 引田字膳棚 丘陵・山林 方形 17 /4
42 東野塚群 ひがしの 今富字東野 丘陵・山林 方形 10 /2
43 東野塚群(閑居塚) ひがしの(かんきょづか) 今富字東野 丘陵・山林 方形 26 /4
44 東野塚群 ひがしの 今富字東野 丘陵・山林 未確認 18・18 /.3
45 東野行人塚群 ひがしのぎょうにん 今富字東野 丘陵・山林 未確認 3〜7 /1
46 分目堂谷塚群(堂谷塚) わんめどーやつ 分目字堂谷 丘陵・山林 方形 10・10 /2.6
47 分目堂谷塚群(分目三山塚) わんめどーやつ 分目字堂谷 丘陵・山林 方形 12・12 /3
48 白塚三山塚 しらつか 白塚字白塚台 微高地・畑地 方形 15・15 /3
49 白塚旧供養塚(三山塚) しらつか 白塚字白塚台 微高地・畑地 方形 13・13 /2.5
50 廿五里新開三山塚 つうへいじしんけえ 廿五里字新開 微高地・畑地 方形 9・9 /1.5
51 廿五里八幡台塚(三山塚) つうへいじはちまんだい 廿五里字八幡台 微高地・畑地 方形 10・10 /1.5
52 花やしき塚供養塚 はなやしきづか 十五沢字高沢 微高地・畑地 方形 29・29 /2.6
53 小折三山塚 こおり 西野字小折 微高地・水田 方形 8・8 /1.5
54 二日市場塚群(手古宮塚B) ふつかいちば(てこみやづか) 二日市場字手古宮欠ノ下 河岸段丘・宅地 方形 12・7.5 /2 平成3年調査(手古宮塚)、消滅。
天保12年〜昭和51年までの石碑7基。
55 松崎三山塚 まつざき 松崎字永作 丘陵斜面・山林 方形 10 /2.5
56 川在三山塚 かわざい 川在字富坂 丘陵・山林 方形 14・14 /3.8
57 浅井小向三山塚 あさいこむかい 浅井小向字釜神 台地・山林 方形 13・13 /2.5
58 安須三山塚 あず 安須字上ノ山 台地・山林 方形 13・13 /3
59 上ノ山群集塚 うえのやま 安須字上ノ山 台地・山林 円形 5.3〜5 /1
60 高坂三山塚 こうざか 高坂字奈木ノ台 台地・畑地 方形 14・14 /3
61 山田三山塚 やまだ 山田字下川端 河岸段丘・水田 方形 12・12 /2.5
62 磯ヶ谷三山塚 いそがや 磯ヶ谷字滝山台 台地・畑地 未確認 18 /4.6
63 大桶三山塚 おおおけ 大桶字念仏塚 台地・畑地 方形 15.7・15.7 /3.7
64 勝間上人塚 かつまじょうにんづか 勝間字上人台 台地・畑地 方形 18・18 /5
65 権現堂三山塚 ごんげんどう 権現堂字塚越 微高地・墓地 方形 18・18 /4
66 大坪三山塚 おーつぼ 大坪字下川向 微高地・畑地 方形 18・18 /4 権現堂川向塚
67 山倉三山塚 やまくら 山倉字南六原 河岸段丘・墓地 方形 19・19 /4.1
68 小田部三山塚 おだっぺ 小田部字上人塚 台地・山林 方形 15・15 /5
69 犬成中野三山塚 いぬなりなかの 犬成字中野 台地・山林 方形 15〜17 /2
70 葉木供養塚群(葉木三山塚) はぎ 葉木字西久保台 台地・山林 方形 23・23 /5
71 西久保台供養塚群
(葉木西久保台三山塚)
にしくぼだい(はぎ) 葉木字西久保台 台地・山林 方形 20・20 /4
72 今津朝山三山塚 いまづあさやま 今津朝山字壱町目 微高地・基地 方形 10・10 /2
73 島穴神社三山塚 しまあな 島野字島穴 微高地・神社境内 方形 6・6 /1 島穴神社塚群
74 島野三山塚 しまの 島野字飯沼境 微高地・畑地 方形 13・13 /1.5
75 飯沼三山塚 いいぬま 飯沼字上腐 微高地・宅地 方形 19 /1.5 寛文3年(1663)銘大日如来座像
76 五井中瀬三山塚 ごいなかせ 五井字中瀬 微高地・基地 方形 18・18 /3.5
77 平田三山塚 ひらた 平田字京塚 微高地・基地 方形 10・10 /2.5
78 岩野見三山塚 いわのみ 岩野見字仲町 微高地・基地 方形 15・15 /1.5
79 波渕三山塚 はぶち 五井字新田 微高地・荒地 方形 12・12 /2.3 平成23年度調査・出土遺物少ない 消滅
80 稲荷神社三山塚 いなりじんじゃ 岩崎字宮ノ前 微高地・神社境内 方形 5・5 /2
81 神門塚群 ごうど 惣社5丁目5 台地・山林 方形 10・10 /3 昭和23年調査(神門B号墳)、※現状保存、布目瓦、陶器片
82 惣社行人塚(三山塚) そうじゃ 南国分寺台1丁目2他 台地・宅地 方形 20・20 /3.8 国分寺台遺跡群、昭和49年調査(北アラク遺跡)、消滅。柄鏡・かわらけ出土 古文書に延宝7年(1679)築造と記述ある
83 清兵衛塚 せいべぇづか 南国分寺台1丁目1他 台地・宅地 円形 8 /0.5 消滅(削平)、国分寺開山塚
84 西広三山塚 さいひろ 南国分寺台2丁目1 台地・宅地 方形 20・20 /4 国分寺台遺跡群、昭和47年調査、(旧)蛇谷供養塚
85 荻作供養塚 おぎさく 荻作字大明神 台地・変電所用地 方形 20・20 /? 消滅
86 荻作三山塚 おぎさく 荻作字子タ掛部田 台地・荒地 方形 13 /3
87 荻作行人塚 おぎさく 荻作字谷 台地・墓地 方形 15・15 /6
88 郡本三山塚 こおりもと 郡本一丁目 台地・神社境内地 方形 15・15 /.4.5
89 能満三山塚 のうまん 能満字上人塚 台地・山林 方形 21・21 /5 昭和58年調査(能満番面台遺跡)一部残存
90 能満上人塚 のうまんじょうにんづか 能満字上人塚 台地・山林 方形 15・15 /4
91 東四辻三山塚 ひがしよつじ 能満字東四辻 台地・山林 方形3段 25・25 /5 能満供養塚
92 神崎三山塚 かんざき 潤井戸字天王台 台地・荒地 未確認 14 /3
93 大厩三山塚 おおまや 辰巳台西五丁目 台地・公園 方形 14・14 /3 大厩供養塚
94 奈良供養塚 なら 奈良字天神台 台地・山林 方形 8・8 /2.6
95 菊間三山塚 きくま 菊間字袖ヶ台 台地・神社境内地 方形 5・5 /1
96 古市場念仏塚 ふるいちばねんぶつづか 古市場字念仏塚 微高地・畑地 方形 4・4 /1
97 菊間三山塚 きくま 菊間字向原 台地・宅地 方形 20・20 /3 消滅
98 菊間三山塚 きくま 菊間字向原 台地・宅地 方形 15・15 /1 消滅
99 草刈44号墳 くさかり 草刈字水掘江 台地・宅地 方形 10 /2 昭和56年調査、調査後消滅
100 草刈狐塚 くさかりきつねづか 草刈字狐塚 微高地・畑地 方形 10・10 /1.5
101 西広供養塚 さいひろ 西広字東 台地・宅地 方形 8.5 /2.5 寛永通宝出土か
102 そま引場塚 そまびきば 今富字文蔵 台地・高速道路 方形 7.6・7.6 /3 旧そま引場古墳、平成2年調査(今富遺跡)、消滅
103 日ノ宮三山塚 ひのみや 椎津字日ノ宮1210 丘陵・山林 方形 10・10 /2

古墳を改作したとみられる供養塚
名称 所在地 立地
現状
形状 規模
底辺/高さm
備考
1 吉野古墳群 37号墳 よしの 西国吉字永井下 河岸段丘面・公園 方形 24・24 /4
2 吉野古墳群 59号墳 よしの 西国吉字台 河岸段丘面・山林 方形 12・12 /3
3 中岱古墳群 1号墳 なかんだえ 米沢字中岱 台地斜面・山林 未確認 18 /4.3
4 境部田岱古墳群 1号墳 さかいべただい 安久谷字境部田岱 台地上・山林 方形 7.5 /2.5
5 塚ノ台古墳群 11号墳 つかのだい 馬立字塚ノ台 台地上・山林 未確認 20 /3.5
6 上椎木古墳群 1号墳 かみしいのき 不入斗字上椎木 台地・山林 方形 12 /2.5
7 引田寺山古墳群 2号墳 ひきだてらやま 引田字寺山 丘陵・山林 方形 11・11 /4
8 大城台古墳群(土宇三山塚)
15号墳
おーじろだい 土宇字大城台 台地・畑地 未確認 20.5 /4.5
9 有木三山塚 ありき 海士有木字十二天 台地・山林 方形 10.5・10.5 /1.5
10 武士古墳群(武士三山塚)
13号墳
たけし 武士字内神門 台地・山林 方形 16・16 /1 武士三山塚、消滅
11 荻作三山塚 おぎさく 荻作字関山 台地・畑地 方形 25・25 /3
12 勝間三山塚 かつま 勝間字下大明神 台地・山林 方形 20・20 /2
13 君塚古墳群 2号墳(君塚三山塚・君塚クワノキ古墳 きみづか 君塚字西崎 微高地・宅地 方形3段 15・15 /3 昭和54年調査(君塚クワノキ古墳)、※墳丘部分保存、土師器・須恵器出土
14 持塚3号墳 もちづか 南国分寺台5丁目9他 台地・公園(現状保存) 方形 24・24 /4 昭和56年調査(国分寺台350号墳)、埴輪(円筒・朝顔形・馬形・盾形)※公園内に保存
15 諏訪台古墳群(諏訪台34号墳)
(諏訪台行人塚)
すわだい 諏訪1丁目3 台地・宅地 方形 17・17 /4 昭和55年調査(諏訪台34号墳・250号墳)、須恵器出土
16 東鹿ノ原古墳群 4号墳 ひがしかんはら 中野字鹿ノ原 台地・山林 方形 14・14 /3 供養塚