菅原孝標女生誕1000年記念特集
更級日記座談会
第3回 国司階級と任国の関係について
| 菅原孝標をはじめとする国司は、政府が任命した中央貴族なので、4年の任期が満了すれば都に帰ってしまいます。そのため国府では、地方の有力者が雑任系の職に任じられ、政治を補佐していました。彼らを「在庁官人」(ざいちょうかんじん)と呼びます。 国司と在庁官人は協力関係にありましたが、階級的な立場の相異から、深刻な対立に発展する場合も多くありました。 |
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さらに平安末期になると、権守(ごんのかみ)や権介(ごんのすけ)などの在庁職を世襲する豪族領主が、国衙機構の中で大きな力を持つようになるから、国府の政治機能の一部が、彼らの館にも移ったはずだ。そんな背景もあってか、政府から国司に任命された貴族は、目代(代官)を派遣するのみで自らは現地に赴かない「遙任」(ようにん)となることが普通になる。ずいぶんな変わりようだけど、孝標のころから国衙機構が変化する兆しはあったのだろうね。 |
同時に地元では有力在庁職を名乗る豪族領主も育ちつつあって、両者協力の下に安定した国政が遂行されるのだけれども、逆に対立の火種も隠せなくなってきた時代だ。 在庁官人らが結託し、国司の苛政を中央政府に訴える例が頻発している。 教科書に出てくる「尾張国郡司百姓等解文」(おわりのくにぐんじひゃくせいらのげぶみ)などはその典型だ。 |
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『荻野研究室収集文書』 早稲田大学図書館所蔵 永延2年(988)11月8日、尾張国の郡司や百姓らが、国守藤原元命の悪政を政府に訴え出た文書。「解文」とは上級官庁に提出する上申書のこと。郡司は国司の下の地方官で、国内の有力者が任じられました。そしてここでの「百姓」とは農民一般のことではなく、広く人民を支配するような富裕層を指します。 この文書に見られるような訴訟活動を「国司苛政上訴」(こくしかせいじょうそ)と呼んでいます。かならずしも国司の苛政ばかりが原因とは言えず、中央政府の課税方針を忠実に実行しようとする国司が訴えられやすい傾向にあったことから、地元有力者側の私欲的な部分も無視できないようです。 このような訴えは、地方有力者が国司に対して行う階級的な闘争の手段として、菅原孝標の時代に頻発しました。 |
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『今昔物語』で「受領は倒るるところに土をつかめ」という名言を言い放った信濃守藤原陳忠などが思い浮かびます。 まあ、われらが菅原孝標については、同じ国司階級ではあるけれど、『更級日記』を読む限り渡世の下手な好人物って感じですから、上総でもあまり強欲な政治は執らなかったのではないかしら。 |
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階級の違いって、そういうものでしょう? 国司の人柄もあるのだろうけど、菅原孝標だって大同小異だろう。 |
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『更級日記』は国司階級の物語。 中央ではうだつの上がらない国司の娘として育ち、妥協の結果、国司の妻にならざるを得なかった夢多き女性の後悔と諦念を紡いだ作品だけれど、作者がいかに物語的な世界に憧れながらも、現実的な結婚を選択し、物質的に満ち足りた環境を得た事実があってこその話だろう? その富については、父や夫が国司だったことを無視できないよね。父の菅原孝標は上総介と常陸介、夫の橘俊通は下野守と信濃守だ。 『更級日記』では、上総介の任期が終わった孝標がどこかの国司に補任されるのを一家ぐるみで切望するのだけれども、かなわないもどかしさが記されていますね。 年老いてからようやく常陸介に補任された折も、孝標は「前世からの因縁が悪かったから、あんな遠い国の長官に任じられてしまった」とさんざん愚痴をこぼしつつ、「しかしやっと得た国司の職を辞するわけにもゆくまい」と言って任地に下っています。 年老いた身で遠隔の地に単身赴任する心細さがいかに大きくても、その苦労を補って余りある利益が望めたのでしょう。 夫となった橘俊通が下野守に任官していた時期も、孝標女は都に止まり、祐子内親王家へ二度目の宮仕えに出ています。 そこでは「私はひたすら宮仕えのみに頼らなければならぬ身の上ではないのだし」と気楽に構えてますから、受領の妻としての経済的な安定が見て取れますね。 |
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| 上 物詣に向かう菅原孝標女の一行 夫の帰京後、菅原孝標女は寺社詣でに熱を入れます。貴族の物詣は、信仰以外に行楽的な目的が多分にありました。菅原孝標女一行の参詣姿は、滋賀県大津市の石山寺に伝わる重要文化財『石山寺縁起』に描かれ有名です。 |
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旅の道中も、身辺の世話を焼く女性たちや警護の侍など、それなりの人数が同行したので、かなり経費が嵩んだはずです。 そのようなイベントを頻繁に行えたのですから、夫や父が経済面で豊かだったことは確かだと思います。 それは国司任官期の収益によるところが大きかったのでしょう。 それについては次回で語り合うことにしよう。 |
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