菅原孝標の女の家族(寛仁4年(1020) 上総国市原郡にて) | |
![]() |
|
![]() |
|
菅原氏について | |
![]() |
菅原氏は中央の貴族です。もともとは「土師」姓でしたが、古墳殉葬者のかわりに埴輪を作った功績で、天平年間に「菅原」姓を賜った、と伝えられています(『続日本紀』)。 それ以降は需学者を輩出した家柄で、文章博士や大学頭などの学職を代々歴任しました。とくに菅原道真は政治家としても優れ、遣唐使の廃止などは良く知られています。道真は右大臣・右大将まで昇進し、政界のトップとして活躍しましたが、ライバル藤原時平の動きにより大宰府に左遷され、59歳で没しました。その後の菅原氏は、受領階層の中流貴族に落ち着きます。中世以降も儒学を家業として伝え、名実ともに学問の家を相伝していきました。 (系図で赤丸が付いた人は、孝標とともに上総国司館で生活した人です) ![]() |
![]() |