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瀬戸・美濃系擂鉢(せと・みのけいすりばち) | ||
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出土地:分目要害城跡(わんめようがいじょう) 遺跡所在地:分目(わんめ) 時 代:戦国時代(16世紀後葉) 解 説:分目要害城跡は文献に登場しない遺跡ですが、整った縄張りから、戦国時代後期の城郭と考えられています。発掘調査の結果、実際に16世紀の陶磁器類が発見されています。ここで紹介する擂鉢もその一つです。 この2点の擂鉢は井戸跡の中層から発見されました。人骨も伴っていることから、廃絶井戸を土壙墓に転用した可能性があります。その場合、擂鉢2点は遺体とともに埋められたことになりますが、これらを埋めた意味ははっきりわかりません。 擂鉢はどちらとも瀬戸・美濃地域で生産されたもので、大窯第3段階前半に属し、16世紀後葉に消費されたものです。 浅黄色の素地に錆釉を施しています。裏底はロクロから切り離す際に付いた回転糸切痕をそのまま残しm錆釉を施しています。 向かって左側の個体が最大径29.5cm、口径28.4cm、底径11cm、器高13.8cm、右側の個体が最大径29.5cm、口径298.4cm、底径11.5cmで、全くの同サイズです。同じ生産ロットから搬入されたのかもしれません。 現在のご家庭で使われている擂鉢とほぼ同じイメージですが、擂り目が少ない点で違いがあります。底部は3条の擂り目を交差させています。 底部は使用により錆釉が落ち、素地が見えていますが、体部の擂り目は磨耗しておらず、他の出土品に比べると、使用による劣化は少ない状態です。 |
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