縄文時代中期 | 姉崎妙経寺貝塚 あねさきみょうきょうじかいづか | |
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JR内房線姉ヶ崎駅の近くにある遺跡で、砂堆(さたい)という周りより若干高い地形の上に立地します。市内で発掘調査された貝塚はほとんどが海から離れた台地上にありますので、標高6mで海岸から400mほどに位置する妙経寺貝塚は対照的な立地にあるといえます。 貝層は砂堆の南側、つまり海の逆側の斜面に堆積しており、最大1.2mの厚さで幅100m以上も続くことが確認されています。貝層の下からは中期初頭の下小野・五領ヶ台式期の竪穴住居跡1棟も検出されています。 発掘調査はトレンチを掘り下げる部分的なものでしたが、貝層の形成が中期中ごろの勝坂・阿玉台式期と中期後半の加曽利EII式の2時期に分かれることや、遺物の種類が台地上の集落と似ていることなど、重要な情報が得られました。 東京都の中里貝塚など海辺の大規模貝塚は、生活臭が薄く一時的な貝の「加工場」のような性格が推定されていますが、土器・石器などの人工遺物が含まれる妙経寺貝塚は、台地上の貝塚と似た定住的な集落が近くに存在する可能性を示しています。 なお、妙経寺貝塚の貝層は剥ぎ取りをおこなって、一部を持ち帰っており、現在埋蔵文化財調査センターの廊下に展示しています。ぜひ一度ご覧下さい。 『市原市文化財センター年報平成7年度』(財)市原市文化財センター 1998年 |
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