遺跡は村田川の支流である神崎川を臨む標高40mほどの台地上に位置します。土地区画整理事業に伴い、平成5年(1993)から11年(1999)と平成15年(2003)に(財)千葉県教育振興財団による調査が行われ、縄文時代から中世にかけての集落跡と墓域が見つかりました。
縄文時代の遺構には、早期の集石遺構2か所・炉穴4か所・陥穴32基、中期の竪穴住居10軒・小竪穴3基などがあります。早期の遺構は条痕文系土器を伴うものが多く、遺跡中央に入り込む浅い谷沿いを中心に、広範囲に分布します。中期の遺構は加曽利E式期のもので、遺跡南端の谷沿いに分布します。住居中央の炉には、炉壁を土器片で囲むもの(土器片囲い炉)が多く認められ、炉内に土器を埋設するものも見られます。出土する土器は加曽利E式のほか、武蔵野・多摩地域を中心に分布する連弧文土器や中部高地を中心に分布する曽利式土器の系譜を引く土器が含まれます。
谷を挟んだ東側に近接する下鈴野遺跡からも同時期の遺構が見つかっており、何らかの関係を持っていたと考えられます。
『潤井戸地区埋蔵文化財調査報告書II−中潤ケ広遺跡(上層)−』 (財)千葉県教育振興財団 2006年 |