塔の投棄から考えること
2点とも埋まりつつある土手側溝に一括廃棄されたものです。
小型塔の製作を15世紀と推定することから、戦国期以降に投棄されたと言えます。
施設跡外郭遺構の最終段階、あるいは廃絶直後の出来事と考えています。
中型塔は四面を鑿状の工具で故意に破壊されており、塔の供養対象を否定するための行為と考えられます。
供養対象はいったい誰なのでしょうか。
市内で確認できる14世紀の大・中型宝篋印塔は、周辺に墓域を伴うものと、見晴らしの良い集落背後の景勝地に単独で置かれたものがあり、それぞれに造塔目的は異なると考えられます。
本遺跡の例がいずれに該当するのか、出土地点が造立地点とは異なるため、現状で明確な判断はできません。
しかし小型塔はともかく、中型塔の場合は笠石のみでも重量があるため、さほど遠距離を移動したとも思えません。
ここで施設跡の時期と性格が重要となってきます。
仮に施設跡が古代ではなく中世の方形館だったとすれば、敷地内に造立された供養塔と考えるのが自然です。
もしこれが館なのであれば、中型塔の造立年代から、運営期間は14世紀が中心で、15世紀に廃絶を迎えたのでしょうか。
その際に、供養塔の破壊・投棄という形で、旧勢力の否定行為が行われたのかもしれません。
あくまでも報告書では中世の館と認識しておらず、そう判断するだけの決定的な根拠にも欠けるため、現時点では一つの可能性の提示に止めておきます。
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