遺跡の深層

52 上細工多遺跡出土の石造宝篋印塔

櫻井敦史
遺跡所在地:能満
時代:古代〜中世

上細工多遺跡について
 遺跡は養老川と村田川に挟まれた洪積台地上に立地しています。
 西隣の台地上には古代市原郡の官衙・寺院跡や上総国府の有力な推定地など重要遺跡が連なることから、歴史的に重要な地域の一角と考えられています。
 字名である「上細工多(かみせえくだ)」は給免田(きゅうめんでん)が由来と考えられ、中世前期の国衙機構(こくがきこう)との関連性にも注目されています。

 昭和59年(1984)、市道改良工事に伴い発掘調査を行った結果、掘立柱建物跡、竪穴遺構などの施設跡が発見されました。
 入口施設を伴う外郭溝も見つかり、方形の外郭が想定されます。報告書では周辺台地の歴史的環境や一部の出土遺物などから、古代の官衙関連遺跡と位置付けていますが、それにしては掘立柱建物跡の柱掘形(はしらほりかた)が貧弱なこと、遺物量に乏しいこと、常滑焼や内耳土器(ないじどき)なども出土していることなど、気になる点があります。調査範囲が狭小だったたこともあり、施設跡の時期判定については検討の余地があると考えています。
 今回は外郭溝から出土した中世の石造宝篋印塔(ほうきょういんとう))を紹介し、遺跡の性格について少し考えたいと思います。


上細工多遺跡調査区全景

写真1(上)上細工多遺跡調査区の全景(奥が東京湾)/図(下)遺跡全体図

上細工多遺跡全体図

出土した石造宝篋印塔について
 外郭施設の溝は数度の掘り直しが認められ、埋まりきる前に土手に置き換えられています。
 この土手の側溝から、2点の石造宝篋印塔笠石が出土しました。
宝篋印塔出土状況
写真2 宝篋印塔出土状況
 これらは中型塔と小型塔で、伊豆石と呼ばれる安山岩製です。

 中型塔は典型的な関東式宝篋印塔で、丹精に製作され、古式を呈します。
 笠下二段軒上五段で、隅飾突起は輪郭を回し、軒幅を出ない範囲で若干外傾します。
 露盤は輪郭を二区に取っています。
 穴は垂直に深く穿たれます。
 隅飾は塔廃棄時に破壊を受けているため、遺存状態が悪いですが、市指定文化財である応安5年(1372)銘「将門塔」と比べると、ややシャープさを保つようです。
 同じく市指定の「常住寺宝篋印塔」より意匠が甘いので、造塔年代はこの両塔の中間に位置するものとし、笠石の笠下二段軒上五段が形式化する南北朝期(14世紀中葉)と考えています。

上細工多遺跡出土宝篋印塔
写真3(上)遺物写真/図(下)実測図
宝篋印塔実測図
 小型塔は西上総地域に広く分布するもので、戦国期の遺跡に出土例が多いことから、15世紀の製品と考えられます。
 上記の中型塔に比べ、粗略な退化形になります。
 笠下二段軒上五段で、隅飾突起は軒と一体化し、露盤とともに輪郭を省略しています。
 なお、穴を上下両面に穿つのは小型塔の特徴です。重量のある大・中型塔に比べ不安定なため、連結の強化を図る必要から取られた措置でしょう。
市内宝篋印塔比較
図 市内の指定文化財との比較

塔の投棄から考えること
 2点とも埋まりつつある土手側溝に一括廃棄されたものです。
 小型塔の製作を15世紀と推定することから、戦国期以降に投棄されたと言えます。
 施設跡外郭遺構の最終段階、あるいは廃絶直後の出来事と考えています。

 中型塔は四面を鑿状の工具で故意に破壊されており、塔の供養対象を否定するための行為と考えられます。

 供養対象はいったい誰なのでしょうか。
 市内で確認できる14世紀の大・中型宝篋印塔は、周辺に墓域を伴うものと、見晴らしの良い集落背後の景勝地に単独で置かれたものがあり、それぞれに造塔目的は異なると考えられます。
 本遺跡の例がいずれに該当するのか、出土地点が造立地点とは異なるため、現状で明確な判断はできません。
 しかし小型塔はともかく、中型塔の場合は笠石のみでも重量があるため、さほど遠距離を移動したとも思えません。

 ここで施設跡の時期と性格が重要となってきます。
 仮に施設跡が古代ではなく中世の方形館だったとすれば、敷地内に造立された供養塔と考えるのが自然です。
 もしこれが館なのであれば、中型塔の造立年代から、運営期間は14世紀が中心で、15世紀に廃絶を迎えたのでしょうか。
 その際に、供養塔の破壊・投棄という形で、旧勢力の否定行為が行われたのかもしれません。

 あくまでも報告書では中世の館と認識しておらず、そう判断するだけの決定的な根拠にも欠けるため、現時点では一つの可能性の提示に止めておきます。

参考文献
(財)市原市文化財センター 1999『能満上細工多遺跡・能満上新関遺跡・能満番面台遺跡・能満旧三山塚』(財)市原市文化財センター調査報告書第12集
櫻井敦史 2010「医王寺石造宝篋印塔について」『平成二十二年度歴史散歩資料 石造物から探る郷土の歴史(その一)』市原市地方史研究連絡協議会 所収
古河 功 1982「市原市常住寺宝篋印塔復元調査記」『庭研』第二一八号 日本庭園研究会編 所収

薬師如来坐像 姉崎神社