遺跡の深層

53 天神台遺跡の船が描かれた土器

小橋健司
遺跡所在地:諏訪1丁目他
時代:弥生時代終末期

天神台遺跡について
 天神台遺跡は養老川下流右岸、国分寺台地区の南西部に位置します。縄文時代早期・前期から集落が形成され、その後、平安時代に至るまで300基を超える墳墓群が累々と築かれた複合遺跡です。1974年から1988年までの15年間で13地区146,890平方mが発掘調査されました。
 古墳時代以降の墳墓群を諏訪台古墳群、その下層に当たる集落遺跡を天神台遺跡と呼び分けています(市原市埋蔵文化財調査センター2013・2015)。

市原市天神台遺跡遺構配置図小

天神台遺跡平面図(クリックで拡大図)

天神台船描かれた土器
市原市天神台遺跡の船の絵

市原市天神台遺跡の土器に描かれた船

土器に描かれた船について
 図・写真(上)の船の線刻絵画土器は天神台遺跡の竪穴建物跡から出土したもので、上部を失った壺形土器の胴部に、鋭い先端を持つ工具で焼成前に描かれています。
 以前、紹介されたことのある資料ですが(浅利1993)、進行中の整理作業で同一個体の破片を発見し、接合することができました。新たに見つかった破片を加えると、船の中ほどにあるアルファベットのFのような形の線の上側に同様の表現が少なくとも3箇所、計4箇所繰り返されることがわかりました。
 船体右側の高くつくられた方が準構造船(丸木舟に舷側板(げんそくばん)を組み足したもの)の船首だとすると、進行方向は図の右と決まるので、F字状の部分は風を受けて帯状のものが左になびく様子を示している可能性が高いでしょう。

岐阜県荒尾南遺跡の船の絵
岐阜県大垣市荒尾南遺跡の土器に描かれた船(復原図)((財)岐阜県文化財保護センター1998より)

土器に描かれた船のルーツ
 現在整理作業中のため詳細な検討は報告の際に加えたいと思いますが、この絵の位置づけを考える上で重要な関連資料を一つだけ挙げておきます。
 岐阜県大垣市荒尾南遺跡からは、3艘の船を描いた弥生時代終末期の壺形土器が見つかっています。中央の長大な船には多数のオール(櫂(かい))が両側に並び、天神台遺跡と同様のFの横棒を増やしたような表現が前・中・後の両側で6箇所見られます。Fの縦棒は右にゆるく曲がっていて、左から右に風が吹き、しなっている様子です。漕ぎ手(人間)の姿はありませんが、左に漕ぎ進んでいるのでしょう。下向きに描かれたゴンドラ状の船体の両端はイチョウの葉のようになっており、高く描かれた左側が船首を表しているようです。
 この荒尾南遺跡例に照らしてみると、天神台遺跡例の船体から上方に描かれた縦の線は、人間ではなくオールを表している可能性が高まります。また、帆のようにも見えるF字状の部分は吹き流しと考えられます。天神台遺跡例は荒尾南遺跡例から省略によって派生したように思えます。
 ふたつの絵画土器が作られた頃、弥生時代から古墳時代に移り変わる時期には、北陸地方南西部や東海地方西部に由来する土器が房総で急激に存在感を増すことがわかっています。おそらく、この土器に描かれた船の絵も、伊勢湾周辺から東京湾へと太平洋岸を渡ってきた文化の一つなのでしょう。

 この絵画土器は平成28年2月27日から3月13日に、第4回遺跡発表会「邪馬台国時代のいちはら」に伴う特別展示で公開します。この機会にぜひご覧ください。

参考文献
市原市埋蔵文化財調査センター2013『市原市天神台遺跡I』(25集)
市原市埋蔵文化財調査センター2015『市原市諏訪台古墳群・天神台遺跡II』(31集)
浅利幸一1993「土器に描かれた船 −弥生〜古墳出現期を中心として−」『市原市文化財センター研究紀要II』
(財)岐阜県文化財保護センター1998『荒尾南遺跡』岐阜県文化財保護センター調査報告書第26集

薬師如来坐像姉崎神社