姉ア神社の路2
(あねさきじんじゃのみち)

山新遺跡の発掘調査
 二子塚古墳のある砂丘列は、山新(さんしん)遺跡が広がっています。
 平成13年から平成16年に(財)市原市文化財センター、平成18年には市原市埋蔵文化財調査センターが発掘調査し、二子塚古墳から北東に向け展開する11基の小形円墳を発見しました。
山新遺跡全体図
これらの円墳は、出土遺物から、5世紀から6世紀初頭ころまでに築かれたと考えられます。
なるみちゃん、さとし学芸員、菅原孝標女
さとし学芸員です。この遺跡も僕が調査を担当したんで、何でも聞いてよ。
この丸いのが古墳?ずいぶん小さいですね。
小さな古墳は永い年月で盛土が失われてしまうから、多くは発掘しないとわからないのよ。
72号墳周溝の土器
2-2(上) 手前から72・66号墳
写真の向かって左側が最大規模の72号墳。周溝の外法径30m、内法径で23mあるよ。周溝内には古墳時代中期の土師器片が流れこんでたんだ。
画面奥の森が二子塚古墳の後円部ね。
70号竪穴状遺構出土の土師器坩
菅原孝標の女 うわあ、かわいいツボ。完品じゃないですか。
お祭りなんかに使った小型丸底壺で、「坩」(かん)と呼んでます。
写真2-2に見える66号墳は、竪穴のような遺構の上に造られたことがわかっている。その竪穴状遺構から、上の坩3点が発見されてるんだ。このほかに高杯も見つかってるから、古墳を造る前にお祭りをした跡なのかもしれない。
 これらは「土師器」と呼ばれる古墳時代中期の土器で、5世紀前半に使われたものだ。考古学では「和泉(いずみ)式」に分類されてるよ。
古墳と竪穴住居跡
2-3(上) 48号墳と52号住居
調査風景
2-4(上) 69号・72号墳。二子塚古墳側から撮影。
14年度調査の48号墳と15年度調査の69号墳からは、黒斑のある円筒埴輪が出土しています。
周溝から円筒埴輪 円筒埴輪出土状況
48号墳 円筒埴輪出土状況 69号墳 円筒埴輪出土状況
48号墳出土円筒埴輪 69号墳出土円筒埴輪
ハニワの表面に付いた黒いシミが「こくはん」ですか。
あれえ? 黒斑って、野焼きで作る土器の特徴でしょう?関東地方の埴輪って、だいたい窯で焼くのよねえ。どうして黒斑が出るのかしら?
この埴輪は土器と同じような技術で焼いたんだよ。櫛描き文様と言い、珍しいよね。48号墳出土埴輪の上部をめぐる波みたいな櫛描きは、須恵器の文様みたいだから、房総の須恵器職人が形を作ったのかもしれないね。そう言えばちはら台の調査で草刈型土器・赤焼き須恵器っていうのも見つかってるし何か関係があるのかな。
なるみちゃん
墳丘下の皿状遺構 墳丘下の皿状遺構
61号墳墳丘下の皿状遺構 66号墳墳丘下の皿状遺構
61・66・80・41号墳の真ん中にある堀込みは何なのかしら。
お皿みたいに浅く掘り窪めてあるわね。
そう。墳丘下の遺構だね。古墳の土を盛る直前に、下で何かやってたんだろうねえ。ここからは高杯とか坩とか、古墳中期の土師器が見つかったんだ。さっきも話したけど、古墳を造るときのお祭りの跡かもしれないよ。
周溝を持たない埋葬施設 木棺直葬墓
85号土壙墓 88号木棺直葬墓
あれ? 堀で囲まないお墓もあるんですね。
土壙墓(どこうぼ)と呼んでます。周溝もマウンドも無いんだから、古墳とは言えないわね。どんな階層の人が葬られたのかしら。
詳しくは解らないね。85号土壙墓には勾玉が1点供えられていたよ。
88号土壙墓は変わった形ですね。中心軸の深い凹みは何なのですか?
ああ、それは木製の棺(ひつぎ)を納めた跡だと思う。このような墓を「木棺直葬墓」(もっかんじきそうぼ)と呼んでます。ここからは鉄鏃(てつぞく。鉄製のヤジリ)が1点見つかってるね。
竪穴住居跡 この遺跡からは竪穴住居跡も発見されてますね。
うん。これらの住居は和泉式期の土師器を使っていたようだね。
それじゃあ、古墳群の築造期とあまり時間差がありませんね。
古墳の造られる直前までムラが営まれていたんだろうね。
65号竪穴住居跡
剣形石製模造品 (左)35号竪穴住居跡から発見された剣形の石製模造品
ひとつ、まとめをお願いします
5世紀の上総地域は台地上にムラが少なく、むしろ低地の開発が活発に行われた時代だと思う。この遺跡を調べるとね、現在の水田が広がる場所に、最初に大規模な灌漑や開田を行い、地域国家を創っていった過程が見えてくると思うよ。そのうち群馬みたいに豪族居館が見つかるかもね。
勉強になりました。