姉ア神社の路4
(あねさきじんじゃのみち)
| 宮山遺跡の発掘調査 1986,12,01〜1986,12,27 | |
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| 姉ア神社の境内地は「宮山遺跡」(みやまいせき)として知られています。 昭和60年(1985)に社殿が焼失しましたので、再建予定部分の380uを(財)市原市文化財センターが発掘調査しました。 その結果、弥生時代から古墳時代終末期にかけての竪穴住居跡10軒や、中世前半期の掘立柱建物跡3棟などが発見されました。 |
これが「たてあなじゅうきょ」ですか? 建築部材は腐って無くなっちゃうから、地面の穴だけ発見されるわけ。 私の時代でも、身分の低い人たちは、このような家屋で暮らしてたわよ。 |
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| 上 古墳時代の竪穴住居模型 手前側の茅葺きを外し、中が見えるようにしています。 |
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比較的裕福な人は平地式の住居に住むようになっていて、発掘調査で発見しづらいせいなのかも。 あるいは人々の住居が広範囲に散るようになって、対象地域の限られた発掘調査では発見しにくいのかもしれない。 とにかく、どういう階層の人がどのような住居で暮らしていたのか、11世紀はよくわからない時代なんだ。 まあ、平安時代の中ごろくらいまでは、普通の人はおおむね竪穴住居に住んでいたようだね。 |
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久ヶ原式と呼ばれる土器の古い段階のものが発見されているよ。 |
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| 上 宮山遺跡で発見された竪穴建物跡(弥生時代後期) 火を焚いた炉の跡が、焼けて変色しています。 |
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| 上 宮山遺跡で発見された竪穴住居跡(古墳時代後期) | |
調査範囲が狭いから、はっきりしたことはわからないけれど。 |
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| 上 宮山遺跡で発見されたカワラケ(小皿 鎌倉時代) | |
でも、なんだか感じが違うわねえ。都で宴会とかに出してたのは、何か、こう、手作りっぽい感じのやつだったわよ。 関東では普通、ロクロで形作ったカワラケを使っていた。もちろんこの遺跡の例もそうだよ。 東国では、手捏カワラケは、よほどのハレの場でしか使わなかったんじゃないかな。 あえて都風の食器を使わなかったのかしら。 さて、この遺跡のカワラケは、数えていないから総量がかわからないけれど、一定量はあるようだよね。 中世の人が宴会を開く場合、使い捨て容器としてカワラケを使ったんだ。 |
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中世の宴会は政治的な意味が大きかったんだ。階級・階層のちがう人同士が、お互いの主従関係を確認しあう場だったのだね。 しかしそれより以前は、むしろ寺社で盛んだったとする説がある。 神仏と人との関係を確認する意味で宴会が行われたのではないか、というわけだ。 |
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