遺跡は、帝京平成大学の建設に先立って発掘調査されました。この調査ではヤマト政権で倭の五王が活躍した時代、古墳時代中期の墓(周溝)が見つかっています。
中期古墳5基のうち、最後に造られたのが、墳丘の直径が約9m、群中最小規模の円墳である05号墳です。埋葬施設1基から鉄剣(もしくは槍)1本、鉄鏃12本が出土しました。鉄鏃の形から中期後半〜中期末の古墳といえそうです。副葬品からすると被葬者は武人だったのでしょう。
この時期は中規模円墳に短甲や、矢の携帯容器である胡ろくが埋葬されることがありますので、墳丘規模、副葬品ともに、やや見劣りする内容ではあります。しかし、こうした小規模古墳の被葬者ですら、武具を副葬していることから、主要な流域から離れた地域でも、中央の社会構造に組み込まれていた様子を窺い知ることが出来ます。
引用参考文献
財団法人市原市文化財センター1987 『市原市下鈴野遺跡』
大村直2003「下鈴野遺跡」『千葉県の歴史』資料編 考古2(弥生・古墳時代) 千葉県 |