常設展示を変更しました
市原市埋蔵文化財調査センター常設展示
 3月7日(日)から開催中の特別展「上総国分僧寺展」にあわせ、エントランスホールの常設展示も模様替えしました。
 土器や木器、金属器などの豊富な資料を、時代を追ってならべ、使われかたによってグルーピングしています。
 時代ごとにどのような出土品があり、そこからどのようなことが言えるのか。いちはらの考古学について、分かりやすくご覧いただけるものと思います。
今回出品した資料です
市原市埋蔵 縄文 弥生土器展示
展示1 縄文時代と弥生時代の土器群です。貴重なものも多く展示しています。
まずは縄文土器
左端から、
深鉢形片口付き土器
 (前期前葉・関山式)
注口土器
 (後期前葉・堀之内1式)
深鉢形土器
 (後期前葉・堀之内2式)
浅鉢形土器
 (後期中葉・加曾利B式)
左端から
深鉢形土器
 (後期中葉・加曾利B式)
浅鉢形土器(同)
台付浅鉢形土器(同)
鉢形土器(同)
注口土器(後期後葉・安行1式)
鉢形土器
 (後期中葉・加曾利B式)
市原市の貝塚の土器群 左・下 
その他いろいろな縄文土器
まつりに使った縄文土器
 祇園原貝塚は、直径およそ190mにおよぶ環状の貝塚集落です。
 ムラの中央には窪地があり、広場になっていたと思われます。
 その近くから「香炉形土器」と呼ばれる特殊なかたちの土器がみつかりました。
 台の部分は破損していましたが、他は完全なかたちでした。
 「まつり」に使われた特殊な土器と考えられています。
左端から
異形台付土器
 (後期後葉・曽谷式)
釣手土器
 (後期中葉・加曾利B式)
同 ( 同 )
異形台付土器
 (後期後葉・曽谷式)
香炉形土器(同)
弥生土器
弥生時代中期 壺形土器 壺形土器  左端から
中期後半 大厩遺跡群
同、御林跡遺跡
同、南岩崎遺跡

弥生時代中期から後期の壺形土器 壺形土器  左端から
中期後半  根田代遺跡
後期前半  大山台遺跡
後期後半    同
後期中葉  天神台遺跡
  同     長平台遺跡
弥生時代中期から後期の甕形土器など 甕形土器・鉢形土器
後列左端から
中期後半  根田代遺跡
 同      祇園原貝塚
 同      根田代遺跡
前列左端から
中期後半  根田代遺跡
 同        同
 同        同
後期前半  大山台遺跡
 同        同
 同        同
弥生時代後期から終末期の甕形土器など 甕形土器・台付甕形土器・
高杯形土器・椀形土器・
高杯形土器

後列左端から
後期後半  大山台遺跡
 同     表通遺跡
終末期   草刈遺跡
前列左端から
後期中葉  大山台遺跡
後期後半    同
 同       同
邪馬台国時代のいちはら
 およそ、邪馬台国の卑弥呼の時代(西暦紀元後3世紀)になると、突然遠距離間の交流が活発になります。
 いちはらには、近畿地方や北陸地方、東海地方などからの来訪者があり、その一部はこの地に移り住みました。
 一方で、いちはらの人々の足跡も、東北地方など各地で見ることができます。
 この時期、地域間交流の中心のひとつであったいちはらの地に、東日本最古の前方後円墳である神門3・4・5号墳がつくられました。
邪馬台国時代の土器
古墳時代早期(弥生終末)
各地の弥生時代終末期土器
市内からは、日本各地の系統の土器が発見されている。
左から、近畿地方、北陸地方、東海地方、北関東地方の影響を受けた土器群。
土師器
東日本最古の古墳  神門古墳群
 およそ、邪馬台国の卑弥呼の時代(西暦紀元後3世紀)に、古墳(前方後円墳)がつくられるようになりました。
 神門3・4・5号墳は、卑弥呼と同時代の市原の「王墓」です。
 古墳に供えられた土器には、近畿や北陸地方の特徴をもつものがあり、古墳出現の背景を暗示するようです。
 辺田1号墳は、国分寺台地区で神門古墳群に続く王墓です。
 さらにその次代になると、中心は姉崎古墳群へうつります。
神門3号墳出土土器 神門3号墳出土土器
古墳時代早期(3世紀半ば)
 この時代、国分寺台地区には、中台遺跡、天神台遺跡、蛇谷遺跡、御林跡遺跡、南中台遺跡など、大きなムラがいくつもつくられました。
 竪穴建物跡は、現状でも1,000軒以上を数えることができます。
 これらのムラの統合の象徴として神門古墳がつくられました。
神門古墳と同じ頃の土器群 後列左から、
炉器台形土器 前期前半 下鈴野遺跡
長頸壺形土器  同       同
前列左から
椀形土器・小型器台形土器
        前期前半  下鈴野遺跡
椀形土器    同       同
鉢形土器    同     御林跡遺跡
高杯形土器  早期       同
土師器とは
 「土師器」とは、古墳時代から奈良・平安時代につくられた素焼きの土器です。
 弥生時代の土器である「弥生土器」は、地域ごとに独自の文様や形をもっていました。
 古墳時代になって、地域間の交流が活発になると、地域ごとの特徴はうすれ、文様もなくなります。
南岩崎遺跡の土師器 南岩崎遺跡から出土した、古墳時代中期前半の土師器群
左から
小型壺形土器
甕形土器
高杯形土器
  同
甕形土器
米作りの道具
稀少な木の道具
 木製品(木器)は、長い年月を経て土中で腐って消えてしまうため、発掘調査で出土することが稀な遺物です。
 その印象は土器に押されがちですが、農耕具をはじめ、食器、櫛、弓矢など、多種多様な道具が木で作られていたはずです。
 そして、絶えず水に浸かっていた低地や水田の下など、条件が良い場合にだけ、きれいに残って出土するのです。
五所四反田遺跡
 五所小学校の建設に先立ち発掘調査を行いました。標高3m以下の低地で、掘ると水が湧く場所です。
 5世紀後半ころ(古墳時代中期)の大きな溝跡から、鍬や鋤、横槌、田下駄などの農耕具、曲物、皿などの器類、櫛や鳥形、祭祀用の杖など、いろいろな木製品が出土しました。
 市内でもこれほどまとまって木器が出た遺跡は他になく、貴重な事例となりました。
五所四反田遺跡の木製品
謎の農耕具、諸手鍬などの重要資料
五所四反田遺跡出土の古墳時代木器 五所四反田遺跡出土の木器群
(広鍬は古墳時代前期、他は中期)
後列左から
広鍬  多又鍬  横槌(3点)
前列左から
えぶり  鋤
弥生時代の石斧 磨製石斧(弥生時代中期)
太型蛤刃石斧
抉入石斧
片刃石斧
有角石斧
「王賜」銘鉄剣(レプリカ)
三島台遺跡の人面付土器
常滑壺と埋納銭
権力の証
古墳時代の出土品
古墳時代の鏡や銀装環頭大刀など、威信財的な品々を展示。石枕も重要資料。
縄文時代のまつりの道具
縄文時代の祭りの道具
縄文時代のアクセサリー
貝輪など
縄文時代の生活の道具
埴輪
ハニワとは何か
 埴輪は、古墳にならべるために作られた焼きものです。
 亡き人に捧げる壺や、それをのせる器台が、円筒の埴輪へと変化したようです。
 埴輪の列は、聖域の境界を示す柵や、あの世へ付きそう従者、権力を見せつける財産などの役割があります。
 人物埴輪や動物埴輪、武器や冠などを象った器財埴輪などを総称して、形象埴輪と呼びます。
辺田1号墳の底部穿孔土器 底部穿孔の壺形土器
辺田1号墳 古墳時代前期
 古墳に供えられた土器。
 底部に孔をあけている。
御蓙目浅間神社古墳
 JR五井駅から500m東の低地上にある、帆立貝形をした古墳です。
 この古墳からは、円筒埴輪・人物埴輪のほか、猪や鹿などの動物埴輪が出土しました。
御蓙目浅間神社古墳の動物埴輪
(古墳時代後期)
左から
イノシシ形埴輪  シカ形埴輪
山倉古墳群の発掘調査
 山倉古墳群は6基の古墳からなる古墳群です。
 昭和49年から翌年にかけて発掘調査が行われ、古墳時代前期から後期にわたって営まれた古墳群であることが明らかになりました。
 調査されたなかで唯一の前方後円墳である1号墳からは、多くの円筒埴輪と人物埴輪が当時のまま出土し、ひろく注目を集めました。
山倉1号墳の埴輪
 山倉1号墳からはさまざまな埴輪が出土しました。
 もっとも多いのは円筒埴輪で、普通円筒埴輪と朝顔形埴輪が、古墳を一周するように並べられていました。
 また、石室の前には、水鳥形埴輪と人物埴輪が一列に並んでいました。
 これらの埴輪は使用した工具痕(ハケメ)の一致から、埼玉県鴻巣市生出塚遺跡で生産され、運ばれてきたことがわかっています。
山倉1号墳の埴輪群
市内出土の須恵器大甕
須恵器とは
 5世紀の中ごろに日本に伝わった焼き物です。
 それまでの土師器とちがい、窯を使い、1000度以上の高温で焼き、灰色で硬質に仕上げています。
 成形にはロクロを使い、内側に当て具を添え、外側からタタキ板で叩くことで粘土内の空気を出し、同時に形を整えました。
 初めは大阪の陶邑で制作されましたが、後に地方でも焼かれ、市内では大和田、石川、永田・不入の窯跡が知られています。
市原市出土の須恵器大甕
左から、小谷1号墳 六孫王原古墳 大和田遺跡 台遺跡出土。
祇園原貝塚出土 西広貝塚出土 祇園原貝塚出土 祇園原貝塚出土 祇園原貝塚出土 祇園原貝塚出土 祇園原貝塚出土 祇園原貝塚出土 上小貝塚出土 奉免上原台遺跡出土 北野原遺跡出土 西広貝塚出土 西広貝塚出土